サラリーマンのころ、「日経新聞くらい読んでおけ」と言われ、時として自分も他人にそんなことを言っていました。
経済に携わる人間として、最低限度の情報収集を怠らないように、というのが本来の趣旨だろうと思いますが、時として針小棒大に解釈され、新聞の隅々まで徹底的に読んでいなければ社会人人生に差し障るようなケースを目撃したりしました。
私はあまり日経新聞が好きになれませんでした。日経新聞でしかわからない何か重要なニュースがのるわけではありません。土日はほとんど読みませんでしたし、夕刊など99%読みませんでしたが、だからと言って、自分の社会人人生にマイナスがあったようには感じません。
むしろ経済情報というよりは、私が覚えている中で、日経新聞でよかったと思うのはたとえば遠藤実さんの「私の履歴書」。面白かったですね。そのころの時代の流れに心躍りました。千昌夫が段ボールをかぶって星影のワルツを駅頭で歌っていたというくだりには、「自分もやらなきゃ」と強く勇気づけられたりしました。
また、変な連載小説がのっていました。日経新聞にかようなものがのっていいのか、しかも朝からこんなものを読みながら出社してよいものかと思いましたが、意外に女子社員も含めて人気があったのにはおどろきました。いずれにせよ、本来の趣旨とは違うところです。
私は60歳を目前に転職し、いまは社会人としての責任は低い仕事に移りました。
新しい職場では「日経新聞を読んでおけ」とは言われません。私の周りで日経新聞を読んでいる人もいませんし、日経新聞に書いていることが話題になったこともありません。業界紙に乗っていることは話にはなりますが、日経新聞は関係ありません。
ということで義務として、あるいは義務感をもって日経新聞を読む必要はなくなりました。
気楽です。
いまも、日経新聞を配達してもらっています。
電車に乗って、おもむろに開けますが、斜め読みです。
自分の関心があるテーマがあれば、そこだけ見て終わりにします。毎日欠かさず見るとしたら囲碁のコーナーという有様です。
こんなことでは正統サラリーマンは務まりません。
でも、もうセミリタイアで正統サラリーマンにはさようならしたわけですから、それでいいのかなと思います。
一日せいぜい10分しか日経新聞読みません。
何の支障もありません。
気楽です。義務感から解放されました。
本当のニュースを知りたければ、私はNew York Timesを見るべきだと思いますし、そうしています。メディアとしての情報力、取材力、全く違います。しかもNYTのオンラインの購読費は日経新聞の10分の1です。
不要な義務感からの解放。
ああ、人生の別のステージが始まったなと、実感します。
それでいいんだと思っています。
さようなら日経新聞!

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