学業というインプットを終えて社会へ出られた方にとって、多くの場合次の役目は組織の中で働くことになります。
組織の中で働くことはいろいろと思うにまかせません。上司と考え方が異なっていたりすると、ときとして気まずい時間が続きます。また、お客様には頭を下げていろんなことをお願いする必要もあります。
たまたま優れた上司にめぐりあえ、また事業環境が幸運に恵まれれば、そのような苦痛を感じることはないかもしれません。ただそういった状況は普通は長く続くわけではありません。
必ずしも自分を必要としない職場に配置換えになるかもしれませんし、自分より若い人が自分を追い越していくことを目の当たりにすることもあるでしょう。会社が買収に会い、新しい経営陣が乗り込んできて社風が一変するということも、今は珍しくありません。
楽しかった日々から一転、つらい立ち位置に身を置くことになることは大いにあり得ることです。
また、そういう状態になることは珍しいことでも、避けられることでもないのが実際です。
本当の自分らしさは、そういった束縛から離れなければ実現のしようもありません。
そのためには「お金が必要であるから働く」という状態を抜け出なければなりません。
このブログでは、仕事をしなくても一生暮らしていける状態を「フルリタイア」と呼びたいと思います。フルリタイアの達成のためには、フルリタイアすることをはっきりと目標に据えて、きちんとした計画を立てるところからがスタートです。
働き続けることは、一定の年齢に達したらもはや当然ではありません。
仕事をやめれば収入が大きく減ります。一定の年齢になれば年金の受給は始まりますが、それが十分な金額であることはまずないでしょう。毎年毎年貯蓄は減っていくことになります。それは不安なことです。だからと言って過剰に保守的に暮らしていくことや、何歳になっても必ずしも楽しくない仕事を続けることは避けたいものです。
自分の身の丈の暮らしや夢が定義できて、それが働かなくとも実現できるなら、自信をもって自分の時間を取り戻すことができます。誰にも指図されることのない、自分だけが満足すればそれでよい生き方ができれば素晴らしいことだと思います。
それは、きちんとプラニングすれば可視化できることです。
もちろん何もかも夢がかなうということはありません。お金が必要な夢を実現しようとすれば、その分だけフルリタイアの時期は繰り下がります。
私は、フルリタイアを考えるにあたってのベースラインはリタイア直前の生活水準を変えずに一生が見通せることだと思っています。それ以上のものを望むのはいったんベースラインのフルリタイアが実現した後にオプションとして考えればよいかなと考えます。
リタイアメントには何と言ってもこれまでの人生の蓄積がモノを言います。ただ、お金が足らないからと言って、今更変えられない過去を議論しても始まりません。むしろここまで来れた自分をまずほめてあげて、その上でこれからできることを考えるのだと思います。
そうすれば自分の時間は戻ってきます。
それがフルリタイアの大事な意味だろうと思います。
フルリタイアとは

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