バブル前の昭和の時代には、核家族が標準的な世帯と認識されていました。夫婦に子供二人が一般的と考えられ、男性は社会に出て働き、女性は結婚すれば寿退社、専業主婦というのが、ごく普通でした。
令和の今、その認識は完全に崩れました。2022年の出生数は80万人に届かないという報道がされており、合計特殊出生率も過去最低に迫る1.27との試算が新聞で報じられていました。
リタイアメントを考える際、家族構成をどうとらえるかは、まだ家族構成が定まっていないごく若い世代では重要な変数となります。
一生単身と考えた場合、基本的には考えるべき対象は自分だけとなります。したがって、決断は自分一人でできるため、プランを随意に決定変更できます。パートナーと同居するにしても、お互いが経済的に独立しているような場合は、それに近い状況であろうと思います。
一方で夫婦で子供は二人欲しいということとなると、変数は急速に増えます。
まず収入は夫婦の片方だけなのか、共稼ぎかでかなり違ってきます。遠い将来に関しても年金額が大きく異なることになるため、夫婦がどのような勤務で一生を過ごしていくのかは、リタイアメントをプランする上で極めて大きな要因となります。
こういった重要なポイントは、親しい間柄であっても書面に落とし、しっかりと時間を取って議論確認しておくべきことだと思います。「夫婦で会議」などと堅苦しいことを嫌う方も多いのは理解しますが、永遠の愛を誓って結婚したのであるのならば、おのずと自分の「働き方」には夫婦としての制限がかかるのは二人の愛の一つの形と思うべきかと考えます。
よしんば伝統的な考えに従って、夫だけが働いている家庭であっても、夫だけが働いていること自体は結婚した時の約束です。勝手にその約束を放棄するのはいけないことだと思います。たとえ60歳で夫としてはハッピーなフルリタイアが実現できたとしても、事前にパートナーに話し、理解を得ることは必須でしょう。
子供の数も大きな問題です。子供は作らないということであれば、リタイアメントプラニングは単身者に類似なものとなるでしょう。
子供を一人作るとなると、大きなコストがかかるのは各種の研究などで報告されている通りです。公立学校で行くのか、私立で行くのか。医科歯科系大学へやるのか、文系なのか。そのコストのかかり方はとにかく半端ではありません。子供二人をいい学校へやろうとすると、家族四人の生計費は現金支出で年間1000万円ではまず足りないでしょう。
子供を育ているのは人生第二期の最重要課題の一つです。それをどうするか、しっかり話し合って決めることが、人生の第三期をどう送るかに最大のインパクトを持ちます。
子育てに関しては、父親と母親の意見が鋭く対立する部分でしょう。ただ、対立を放置してはリタイアメントを計画するうえでは無責任になります。必ず夫婦がひざを交えて時間をかけてそして結論を出すべき問題と思います。その際に、リタイアメントプラニングのツールを用いてより長い人生の企画から逆算して子育てにかけられる体力を量るのも有力な手順ではないかと考えます。
家族構成とリタイアメント

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